思い出は非効率なことばかり

皆さまこんにちは、本間です。

最近「ブログ見ました」と言っていただけることがあるのですが、かなり恥ずかしいですね(笑)

もちろん、私の人となりを知っていただくために書いていますので、見ていただくのはとても嬉しいです。ですので、また見に来ていただけるとありがたいです。

さて、昨日は成人の日でしたね。新たな門出を多くの人が祝ったことでしょう。

ふと自分の成人式を思い返してみると…、全く思い出せない…。

バスケや音楽活動はもう辞めてるはずだし、きっと合コンでモテることに命を注いでいたに違いない。

先日、一回り以上離れた若者と話す機会がありました。彼らが言うには、「合コン」など非効率だからやらず、マッチングアプリを使うそうです。そのほうがよっぽど効率的だとのこと。(どういう流れでその話になったんだ?)

なるほど、時代は変わった。

でも待ってくれ、効率化・合理化が本当に正しいのだろうか。

成人式は思い出せなくとも、思い返してみると、覚えていることって若かりし頃の非効率でムダなことばかり。

横浜の女子大近く(主に十日市場と緑園都市)でビラを配ったり(音楽活動のね)。平塚や横須賀の夏祭りまで遠征したり。(いや、何してたんだ俺?)

小学生の頃に至っては、ヒッチハイクして偶然担任が止まったり…、自転車で燕から新潟に行こうとして途中であきらめたり…。(スタンドバイミーか)

もし僕が効率的に物事を考える人間だったら、思い出はもっと少なかったかもしれない。

コスト削減、生産性向上、DX、毎日のように新聞やニュースで流れていますね。

もちろんこれらを否定したりしません。むしろ、私は推進する側の人間です。

でも、それにばっかりとらわれると大事なものを見落としたりするかもねってこと。

全てがオンラインで完結するけど、わざわざ会いに来てくれたら嬉しいですよね。

ビジネスや商売の本質って案外そういうとこにあるのかもしれませんね。

僕の若かりし頃の非効率な行動も、決してムダなことばかりではないかもしれません。

あの夏の平塚七夕祭り、微笑んでくれた浴衣のあの子の笑顔はたぶん一生忘れない。